「オットー・ネーベル展 シャガール、カンディンスキー、クレーの時代 | Bunkamura」に行った。
目当てはカンディンスキーだったことを最初に白状しようと思う。
オットー・ネーベル以外にも、パウル・クレーとワシリー・カンディンスキーの作品があると聞いたから行ったのであり、正直「オットー・ネーベルって誰だろ」くらいのテンションで行った。
もちろん、目当てのカンディンスキーの《小さな世界》の連作は素晴らしかった。
カンディンスキーについての書籍がBunkamuraの書店に売っていたのでおもわず買ってしまった。前から探していた本が見つかる書店、罪深い…。
でも、カンディンスキーさんには申し訳ないのだけれど、オットー・ネーベルにすっかりはまってしまった。
元来”前衛美術”と呼ばれるようなものがとても好きで、この展覧会もポスターを見た時から素敵な予感は感じていたのだけれども。
あくまで個人的かつ主観的な分類なのだが、私にとって絵画は大きく分けて2種類ある。
背筋を伸ばして立って眺めたい作品と、のんびりと座って眺めたい作品の2種類だ。
前者はどことなく緊張感があり、目を引きつけられて離せなくなるような感覚を覚える。
後者は見ると余計な力が抜け、いつまでもただ眺めていたいなと感じる。
私は前者のような、背筋がピンと伸びるような作品を好んでいる傾向にある。
代表例はジャクソンポロック。(最近新たな作品が発見されてテンションが上がった。原田マハさんの『アノニム』が出版された直後だったので尚更に!) とても好き。
もちろん、余計な力が抜けてひと心地つけるような絵画も好きだ。
ジョン・シンガー・サージェントとか。この前の都美の「ボストン美術館の至宝展」に来ていた《フィスク・ウォレン夫人(グレッチェン・オズグッド)と娘レイチェル》は最高だった。
話をネーベルに戻そう。
私の中では、ネーベル作品は背筋の伸びる作品だった。
カンディンスキー作品は、力の抜ける作品だった。
ネーベルの作品は、目を凝らして見るとめまいがするくらいに細かい。
遠くから離れて見ると非常に単純な構図だが、よくよく観ると、とてつもなく細かい絵筆の跡が見て取れる。
そのような部分から”背筋が伸びる”を感じ取ったのかもしれない。
多分今日は、彼の描いた大聖堂の中にいる夢を見ることだろう。きっと幸せな夢になると思う。張り詰めた空気は、優しい雰囲気よりも温かい時がある。
カンディンスキー、クレー、そしてネーベル。どうしてこうも偉大な芸術家は同じ時代に生きるのだろうか。作家しかり、画家しかり、音楽家しかり。
同じ時代にこの人たちが机を並べて学んでいた、また共に働いていた…それを想像するだけで鳥肌が立った。そんな感動も得られる展覧会だった。会期は12月17日まで。もう一回行きたい。