本やら美術やら舞台やらが好きな人が、ひたすらに好きなものへの愛を叫んだり叫ばなかったりするブログです。読書歴は(http://booklog.jp/users/naneko)

美術品が「在る」ということ ー東京都美術館「ボストン美術館の至宝展」ー

幾分か前にはなるが、東京都美術館の「ボストン美術館の至宝展」に赴いた。

 

私は、東京都美術館がとても好きだ。 

素晴らしい美術品を、1人でも多くの人に観てもらおう!というような気概のようなものを感じ取れるところに魅力を感じる。

 

前回の「バベルの塔展」も、ブリューゲルの《バベルの塔》を全面に押し出しつつ、他のネーデルランド美術をも魅力的に紹介していた。

今回の展覧会でも、フィンセント・ファン・ゴッホの《郵便配達人 ジョゼフ・ルーラン》・《子守唄、ゆりかごを揺らす オーギュスティーヌ・ルーラン夫人》の二作を特に推しつつ、多様な時代・地域の作品を紹介している。

一見バラバラな作品群は、ともすれば脈絡なく並べるだけになりそうなものである。

しかしそこに"コレクター"という切り口を取り入れることで、纏まりのある展示にしていたように思う。

(おそらくここには借り受けるためのストーリー作りという面もあるのだろう。)

 

解説の丁寧さも都美の魅力だ。

英一蝶の《涅槃図》は、解説を見ながら鑑賞すれば数時間はそこにいられるのでは?と思うほど。

 

 

今回の「ボストン美術館の至宝展」は、普段意識することの難しい "そこに美術品が在ることの有難さ"を感じた展覧会だった。

美術品が生み出されるためには、当然ながら創作をする芸術家がいて、(たいていの場合)その芸術家を支援する人がいなくてはならない。

そして生み出された美術品が在り続けるためには、その品に価値を見出して、大切に扱う人がいなくてはならない。

 

そのような人たちがいたからこそ、今の私たちも美術品を目にすることができる。

(美術館が価値あるものを収集するための支援をしてくれた人たちがいたから、とも言える。)

西欧諸国からしては蛮族の国であっただろう日本の、蛮人である日本人が生み出した美術品。それに価値を見出してくれたコレクター達がいなければ、日本画や陶磁器はガラクタとしてずさんに扱われていたかもしれない。

まだ日の光を浴びていないゴッホの絵画を収集したコレクターたちがいなければ、今私たちがゴッホの作品を目にすることは難しかったかもしれない。

 

美術品がそこに在ることは当たり前ではない。

それを大切に思い、守り、ファンでい続けた人たちがいたからこそ、そこに在る。

そしてその偉大なコレクターたちの思いを受け取り、美術品を守り続けている場所が美術館だ。

そこに足を運ぶことはきっと、美術作品への貢献のあり方の1つなのだと思う。