本と美術館

"作品をみる"ということについてー東京都美術館「バベルの塔展」ー

 しとしと雨が降るなか、昨日は東京都美術館に行った。(私が美術館に行こうとする日はたいてい雨が降っている気がする。何故だ。)

 またも会期末ぎりぎりの訪問。混んでいることを予想して、9:30の開館前に美術館に着いた。

その時点ですでに結構な人が並んでおり、今日って休日だったっけ…?と混乱した。

 

 開館してすぐ、多くの人がチケット購入の列に並んだ。

私はすでに上野公園入り口(西洋美術館の入り口横)の「公園案内所」で当日券を購入していたため、すぐに会場に入った。

 ちなみにこの「公園案内所」、公園内のたいていの展覧会の当日券を扱っている上、ほとんど並ばない。割引券が使えない点は悲しいのだけれども、それ以外では使わない理由はないと思う。おすすめです。学割はききます。

 

 

 会場の説明書きにもあったが、ネーデルランドの美術品には「作者不明」のものが多いらしい。

展覧会のはじめのコーナーでは、作者欄が「不明」のものが多く展示されていた。

 

 私達はたいていの場合「○○の作品」という括りで美術品を見る。

私はジャクソン・ポロックの"作品"が好きだし、ソール・ライターの"作品"に感動した。そういったとき、私はその"作品"に惹かれていたはずだ。

 しかし、時に「○○の作品」だからすごい!と思ってしまうこともある。イタリアでボッチィチェリを見た時、ダヴィンチの「最後の晩餐」を見た時、私は本当にそのもの自体の価値を見ていたのだろうか。

 もしかしたら、「○○の作品」という価値しか見れていなかったのではないだろうか。

 

 今回の「バベルの塔展」に関していえば、恥ずかしながら作者のこともその作品の有名さも知らずに訪問した。

 そこで「作者不明」の作品にも数多く出会ったわけだが、そのどれもが単純に美しかったし興味深かった。

 ヒエロニムス・ボスの作品は初めて見たけれど、どれもシニカルで、好きになれた。

 ブリューゲルがどういう人なのかはよく知らないままで行ったけれど、ブリューゲルの作品はどれも素敵だった。

 

 

 芸術をどう楽しむことが最も誠実なのか、私にはまだ分からないけれど。

予備知識なく新鮮な気持ちで向き合うのもまた良いものだなぁと、そんなことを思った展覧会だった。