本と美術館

先日の記事の補足と、反響から感じた違和感について

 

先日の記事、なかなか多くの方にご拝読いただいているようで恐縮です。

 

まずは補足を。

乱文故分かりにくかったかと思いますが、休職の原因は体調不良です。

自分にとってあまり楽しくはない仕事ではちゃめちゃに忙しくしていたら体調不良になりました。

本が読めない、検索が出来ない、ドアの開け方が分からないなど適応障害の症状が出たため休職。

その上で、休職中に社外の友人と連絡を取ったりご飯を食べたりしているうちに自分の状況が異常であることを把握。

さらに同期から色々言われ退職を決意、という流れ。

日頃言われていたことのストレスで倒れたわけではないので悪しからず。

(正直、社会ってこんなものなのかな!って思っていた。)

 

 

加えて何点か、反響から思ったことを記したいと思う。

 

私の会社選択がそもそもの発端であり、すべては「自己責任」で「自業自得」、そして私の様は「悲劇のヒロインぶっている」ようで不快である。

 

いくつかのお叱りの言葉を頂戴したが、総合すれば概ねこんな感じだ。

 

私はこの風潮にとてつもない違和感を感じる。

 

確かに私の選択ミスもある。認めます。

でも、よく考えてほしい。

弊社(今はまだ弊社)が大々的に「女性差別しまーす!」と謳っているわけがない。

このご時世、どんな企業でも表向きは男女平等、女性の活躍を謳うだろう。

面接や内定時代に会った社員はみんな優秀で素敵だった。良い会社だと思ったから、他の会社の内定を辞退して入社を決めたのである。

まあ、出来ない人やヤバイ人を内定者の前に出すわけがないのだが。

 

実際に弊社の上層部の方々は人格的にも素晴らしく、平等に扱ってくださる方ばかりだ。

上司や先輩からセクハラ・パワハラなどハラスメントを受けたことは  私は  無い。

 

なお、一部の外資系競合他社から中途で入社した中堅ポジションの社員の中にとてつもないパワハラ系や外国人差別系が複数人いたことは否定のしようがない。

弊社はまだ若い会社ゆえに新卒叩き上げのそこそこ上のポジション社員が少ない。

どうやら、中途が新卒を潰して辞めさせてしまう…みたいなことが、入社後に知った。残念。

競合他社の方が弊社よりも差別やらハラスメントがヤバイのでは、と個人的には思わないでもない。

 

背景はどうであれ、「自己責任」でした選択の結果が何かしらの面での「失敗」だった場合、それを「自業自得」と見捨てて良いのだろうか。甚だ疑問である。

学校選びや新卒入社など、例えば怠惰ゆえに他の選択肢を得ることができずに失敗した場合でも、その場が"ヤバイ"場であったのはその人のせいではない。

(あそこはヤベェぞ!と言われているならばちょっと冷静に考えた方が良かったんじゃないかな…と私も思うけど。)

 

すべてを見通すことができる人はいないし、不意の人事異動や社長変更で雰囲気が変わることもある。

にもかかわらず、「自業自得」。

それって、おかしくないですか?

なんでもかんでも「自己責任」って言うの、辞めません?

困ってる人がいれば心配して、手を差し伸べれば良いのでは?

あえて叩く必要、あります?

例え多くの人に迷惑をかけた結果になったとしても、「自己責任」だから「自業自得」だ。だから叩く!っていうのは、私は不健全だと思います。

 

 

もう一点、「悲劇のヒロインぶってる」ってやつ。

これもよくいますよね、誰かが辛い思いとか大変な思いを共有すると言う人。

 

「悲劇」って、不幸な結末に至るまでがひとセットだと思う(辞書的な意味でも)。

そもそも私は不幸な結末に至ったのか?私はそうは思わない。

 

私の話は、何処かの誰かにも起こりうることだ。

宇宙人に連れ去られて、親とも友人とも今生の別れを告げたわけでもない。

生きてますし元気ですし転職先も見つけましたし後悔もありません。

人の経験を、勝手に「悲劇」にしないでほしい。

 

「こんなことがあるんだ、気をつけよう」でも、「自分はこんなこと言ってないかな」でも、ちょっと立ち止まって考えてもらえれば嬉しいなと、そう思っている。

(執筆動機にはもちろん、恨みつらみの昇華もありますが!)

 

そして、誰の人生でもその人生の主人公はその人自身です。ミミズだって オケラだって アメンボだって、みんなみんな生きていますしその一生の主人公。

自分が自分の人生のヒロインであることが正しいのでは?

なんで、叩くんですか?

誰かの辛い経験大変だったこと苦しかったこと悲しかったこと、色々知ることがためになる時もありませんか?

みんながもっと、楽しい嬉しい幸せなどのプラスの感情や、辛い悲しい苦しい悔しいなどのマイナスの感情を気軽に発信できる世の中の方が、私は健全で合理的だと思います。

 

こういう投稿したらこんな反応くるかな、そうしたらこういうこと次は書きたいな〜と意地の悪いことを思いながら投稿した先日の記事、思う通りの感じになったので言いたいことを言えました。

 

 

 

私は、「可愛い女」にはなれない

 

 11月、4月に新卒で入った会社を辞めることにした。

 

私は大学で、男女の平等とは何か、をテーマに研究をしていた。

ジェンダーについての本もたくさん読んだし、日本の女性の労働の在り方の変遷についても散々調べた。労働法の変遷も学び、男女雇用機会均等法や昨今の女性が輝く社会云々についても知識を得た。

 

「女性が働くことは今でもちょっと大変なんだな」と、社会とやらを少しは知っているつもりで、そして自分はその社会に飛び込む覚悟があるのだと信じて、社会人になった。

 

でも、私はやっぱり何も知らなくて、覚悟も全くできていなかった。

世の中には、自分よりできなくて、しかも容姿が優れている女性にしか許さない男性というものがいたのだった。

 

 

  • 実力主義と言われ、それなりに稼げる業界に入った私たち女性に対して「なんで女なのにここに来たの?」と先輩たちもいる前で堂々と聞いてくる同期。
  • 研修の時に少しばかりフェミニンな服を着ていたら「そんな格好して、(指導してくださる先輩に)気に入られたいの〜?女の子はいいね〜すぐ気に入られて」と嗤ってくる同期。
  • 研修最後、私が同期内で上位の成績をいただいたことを知り「やっぱ女は贔屓されていいな」と、臆面もなく言った同期。
  • 研修の順位について「○○さん(先輩)が、女も上位に入れないとまずいからお前が上位だったって言ってたぞ」と親切にも教えてくれる同期。
  • 「あんまり仕事できると可愛くないから良くない」と有難い忠告をしてくれた同期。
  • 配属後、誰とも顔を合わせていないのに、社内で「あいつは仕事を舐めているからすぐ帰っている」と噂していた同期たち。
  • 忙しさと諸々で体調を崩して休職した私に「やっぱり女の子はこの仕事には向いてないよね」とLINEしてきた同期。
  • 「そんなに可愛くないし、(玉の輿には乗れないから)やっぱり働かないとダメなのか〜」と心配してくれた同期。

 

 

自分よりできなくて、容姿の優れた「可愛い女」はチヤホヤする。

自分よりできる人は、自分より下になるように引き摺り下ろす。できなくて容姿が優れていなければ貶して馬鹿にする。

そういう世界があるんだってことを、私は知らなかったのだ。

 

男女比の偏った同期の中では、そもそも女であるというだけで、良くも悪くも目立ってしまったというのもある。

私が何か彼等の気に触ることをしたのかもしれない。

確かに私は性格が悪い。うん、嫌われるのは仕方がない。

 

でも、それでも、たいして年の変わらない平成生まれの彼等に、なんで女であるということで馬鹿にされないといけないのか。

(浪人留年院卒などで年が上の人が多かったことは確か。多分平均年齢24くらい)

 

休職してただただベッドに寝転んで壁の模様を数えていた時、だいぶ前のドラマにはなるが、リーガル・ハイ2の3話を思い出した。

整形がバレて離婚を求められる話。その話で離婚を求められた「整形美人」が言うセリフがある。

 

 ブスはね、ブスなりに、生まれ持った自分の顔が好きなの。でも好きになれないように周りがするんだもん。

 

そう、誰だって自分のことがそれなりに好きなのだ。なのに、周りがそうできなくさせてくる。

 

 

「可愛い女」じゃないと、自分を好きになることなんてできないのかもしれない。

私には「可愛い女」になるのは無理だ。

容姿はもう今更変えられないし、整形する意気地もお金も気力もない。

できることをできないフリして生きていくなんて、悔しくて絶対に嫌だ。

 

このまま会社に残って同期に卑下する言葉をぶつけられていたら、私は私のことを、どんどん嫌いになっていくと思った。

だから、辞めることにした。

 

私は「可愛い女」にはならない。

だから、そうでなくても生きていけるところを探すことにした。

 

次の会社がどんなものかはまだ分からないけれど、2018年の最後の月、またゼロからスタートする。

絶対にいつかあいつらを見返してやるからなって思っている。言われたことのすべて、もはや笑い話だなって思っているし笑い話にしているけど、正直なところ全くもって許していない。

許せないから、いつかそいつらが「彼女は昔同期でさ〜」と、私と知り合い自慢をしてドヤ顔するようなスゴイ人間になってやろうと思っている。

見てろよ。

 

 

 

背筋の伸びる作品ーBunkamuraミュージアム「オットー・ネーベル展」ー

 

オットー・ネーベル展 シャガール、カンディンスキー、クレーの時代 | Bunkamura」に行った。

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目当てはカンディンスキーだったことを最初に白状しようと思う。

オットー・ネーベル以外にも、パウル・クレーワシリー・カンディンスキーの作品があると聞いたから行ったのであり、正直「オットー・ネーベルって誰だろ」くらいのテンションで行った。

もちろん、目当てのカンディンスキーの《小さな世界》の連作は素晴らしかった。

カンディンスキーについての書籍がBunkamuraの書店に売っていたのでおもわず買ってしまった。前から探していた本が見つかる書店、罪深い…。

 

僕はカンディンスキー (芸術家たちの素顔)

僕はカンディンスキー (芸術家たちの素顔)

 

 

 

 

でも、カンディンスキーさんには申し訳ないのだけれど、オットー・ネーベルにすっかりはまってしまった。

元来”前衛美術”と呼ばれるようなものがとても好きで、この展覧会もポスターを見た時から素敵な予感は感じていたのだけれども。

 

 

あくまで個人的かつ主観的な分類なのだが、私にとって絵画は大きく分けて2種類ある。

背筋を伸ばして立って眺めたい作品と、のんびりと座って眺めたい作品の2種類だ。

前者はどことなく緊張感があり、目を引きつけられて離せなくなるような感覚を覚える。

後者は見ると余計な力が抜け、いつまでもただ眺めていたいなと感じる。

 

私は前者のような、背筋がピンと伸びるような作品を好んでいる傾向にある。

代表例はジャクソンポロック。(最近新たな作品が発見されてテンションが上がった。原田マハさんの『アノニム』が出版された直後だったので尚更に!) とても好き。

 

アノニム

アノニム

 

 

 

もちろん、余計な力が抜けてひと心地つけるような絵画も好きだ。

ジョン・シンガー・サージェントとか。この前の都美の「ボストン美術館の至宝展」に来ていたフィスク・ウォレン夫人(グレッチェン・オズグッド)と娘レイチェル》は最高だった。

 

 

話をネーベルに戻そう。

私の中では、ネーベル作品は背筋の伸びる作品だった。

カンディンスキー作品は、力の抜ける作品だった。

ネーベルの作品は、目を凝らして見るとめまいがするくらいに細かい。

遠くから離れて見ると非常に単純な構図だが、よくよく観ると、とてつもなく細かい絵筆の跡が見て取れる。

そのような部分から”背筋が伸びる”を感じ取ったのかもしれない。

多分今日は、彼の描いた大聖堂の中にいる夢を見ることだろう。きっと幸せな夢になると思う。張り詰めた空気は、優しい雰囲気よりも温かい時がある。

 

 

カンディンスキー、クレー、そしてネーベル。どうしてこうも偉大な芸術家は同じ時代に生きるのだろうか。作家しかり、画家しかり、音楽家しかり。

同じ時代にこの人たちが机を並べて学んでいた、また共に働いていた…それを想像するだけで鳥肌が立った。そんな感動も得られる展覧会だった。会期は12月17日まで。もう一回行きたい。

 

美術品が「在る」ということ ー東京都美術館「ボストン美術館の至宝展」ー

幾分か前にはなるが、東京都美術館の「ボストン美術館の至宝展」に赴いた。

 

私は、東京都美術館がとても好きだ。 

素晴らしい美術品を、1人でも多くの人に観てもらおう!というような気概のようなものを感じ取れるところに魅力を感じる。

 

前回の「バベルの塔展」も、ブリューゲルの《バベルの塔》を全面に押し出しつつ、他のネーデルランド美術をも魅力的に紹介していた。

今回の展覧会でも、フィンセント・ファン・ゴッホの《郵便配達人 ジョゼフ・ルーラン》・《子守唄、ゆりかごを揺らす オーギュスティーヌ・ルーラン夫人》の二作を特に推しつつ、多様な時代・地域の作品を紹介している。

一見バラバラな作品群は、ともすれば脈絡なく並べるだけになりそうなものである。

しかしそこに"コレクター"という切り口を取り入れることで、纏まりのある展示にしていたように思う。

(おそらくここには借り受けるためのストーリー作りという面もあるのだろう。)

 

解説の丁寧さも都美の魅力だ。

英一蝶の《涅槃図》は、解説を見ながら鑑賞すれば数時間はそこにいられるのでは?と思うほど。

 

 

今回の「ボストン美術館の至宝展」は、普段意識することの難しい "そこに美術品が在ることの有難さ"を感じた展覧会だった。

美術品が生み出されるためには、当然ながら創作をする芸術家がいて、(たいていの場合)その芸術家を支援する人がいなくてはならない。

そして生み出された美術品が在り続けるためには、その品に価値を見出して、大切に扱う人がいなくてはならない。

 

そのような人たちがいたからこそ、今の私たちも美術品を目にすることができる。

(美術館が価値あるものを収集するための支援をしてくれた人たちがいたから、とも言える。)

西欧諸国からしては蛮族の国であっただろう日本の、蛮人である日本人が生み出した美術品。それに価値を見出してくれたコレクター達がいなければ、日本画や陶磁器はガラクタとしてずさんに扱われていたかもしれない。

まだ日の光を浴びていないゴッホの絵画を収集したコレクターたちがいなければ、今私たちがゴッホの作品を目にすることは難しかったかもしれない。

 

美術品がそこに在ることは当たり前ではない。

それを大切に思い、守り、ファンでい続けた人たちがいたからこそ、そこに在る。

そしてその偉大なコレクターたちの思いを受け取り、美術品を守り続けている場所が美術館だ。

そこに足を運ぶことはきっと、美術作品への貢献のあり方の1つなのだと思う。

 

 

写真は愛だ。ー東京都写真美術館「荒木経惟 センチメンタルな旅」ー

 

 

”愛する"とは、繰り返したいと思える瞬間を増やす行為なのかもしれない。

そんなセンチメンタルなことを思いながらこの文を書いている。

8月24日、36度という気が狂いそうな暑さの中、東京都写真美術館に行った。

(久しぶりに晴れた日に美術館に行った気がする)

目当ては「荒木経惟 センチメンタルな旅 1971- 2017-

『センチメンタルな旅』『東京は、秋』をはじめとした、荒木氏の妻「陽子」をテーマにした作品を集めた展覧会。

 

 

展覧会は時系列に写真が並んでいる。出会いから新婚旅行、夫婦の日常生活、のように。

そして現れるのが食事の写真群。この辺りから、写真から醸し出される雰囲気がどことなく変化してくる。

その後に待っているのは「陽子」の死だ。

私の涙腺は我ながらトチ狂っていると思うのだけれども、案の定この辺りで涙腺が決壊する。

誤解を恐れずに端的に言うと、「陽子」の死が悲しかったわけではない。

写真から痛いほどに伝わってくる”愛”とでも言えばいいのか、なんというか多分そのようなものの気配が、心を締め付けたのだ。

 

 

人がシャッターを切るときはどういう時か。

そらく、正の感情が沸き起こった時なのではないかと思う。

人は美しいものを愛する。だから、美しかったり愛しかったりする瞬間を切り取って保存したくなるのだ。

(もちろん汚いものや恐ろしいものを撮ることもあるが、それもある種の”美”に対する畏怖の表現手法だと個人的には思っている。)

 

 

展覧会にある写真は、一般的に言う”美”に当てはまるものばかりではない。

憮然とした顔、疲れた姿、散らかった部屋、片付けきれていない靴下…など。

私だったらこれを撮れるだろうか、と考えた。撮れないな、と思った。

この一瞬に、切り取ってとっておく価値を、私だったら見出せないなと思ってしまった。

でもそれらの写真にも、アラーキーの”愛”は詰まりに詰まっていた。

「陽子」を写したものや「陽子」の気配を感じさせるものからは、それが痛いほどに伝わってくる。

 

「この人の、この人のいる場所のどんな瞬間をも切り取りたい」と切実に思えるような誰かと共に生きることの愛しさ、幸せ、そして哀しさ。

あまりにも尊く、鮮烈で、バルコニーの写真群の前、立ちすくむしかなかった。

 

”天才アラーキー”が天才たる所以は、様々なものを心底愛せることにあるのかもしれない。

 

 

展覧会の終わり、迷いに迷って一冊だけ写真集を購入した。

愛のバルコニー

愛のバルコニー

 

 

巻末のインタビューにはこうある。

写真っていうのは”現在”がないんだよ。全部すぐ”過去”になっちゃうの。ところが、見るときにはまた全部”現在”になるんだよ。

 

再びこの瞬間を味わいたいと思える誰かとの時間を、大切にして生きていきたい。

たとえ手元にカメラがなくても、心の中でたくさんパシャパシャと写真を撮っていきたいなと、思った。

 

ほら、写真はだろ?

             ー美術手帖2017年8月号

私と哲学

哲学に救われ、哲学に生かされたと言っても、過言ではないと思っている。

哲学は私の生活の一部であり、人生の一部であり、私の構成要素の一部である。

 

大学4年の前期も終わりに近づき、卒論という壁に突き当たっている今は、自分が4年間で何を学んできたのかを、見つめ直す時期とも言えるかもしれない。

「何を勉強しているの?」と聞かれた時、私はいつも「政治哲学」と答える。

この、何の役にも立たないとも言われがちな「哲学」というものを、私はなぜ学んでいるのか。

なぜ哲学に惹かれ、哲学書に没頭し、哲学的に考えることを愛しているのか。

そのことを少しばかり、書いてみたいと思う。

(なお、文学部の哲学科に在籍しているわけではないことはあらかじめご了承いただきたい。)

 

 

幼い時より、多少、周囲の人よりも様々なことに悩むたちだった。

特に、数の概念には今も昔も苦しめ続けられている。

まず、1+1がわからなかった。1ってなんだ?2ってなんだ?数ってなんだ…?

そう思ってしまって、「1+1=2」であるということを「理解」できなかった。

悩んでも悩んでもわからなくて、とりあえず、自分の中で"理解"したことにした。

それでもやっぱり、今でも−の概念にはいつも戸惑うし、割り算やかけ算をする時には、一旦÷や×を概念のレベルにまで戻って考えないと納得ができない。

虚数など出てきてしまった時には発狂しようかと思うほどだった。

 

言葉というものも、時に私を苦しめてきた。

書物の活字も、(私の恩師の言葉を借りれば)「紙の染み」にすぎない。

なのに私は、その「紙の染み」から意味を感じ取る。

しかも同じ「紙の染み」であっても、言語が違えば全く理解ができなくなってしまう。

ひらがなカタカナ漢字とアルファベット。それしか私は「文字」だと認識できない。

「文字」と認識できても、意味を感じ取れるものは僅かだ。漢字であっても、中国語は「理解」できない。アルファベットでも、英語とフランス語は多少は読めたり読めなかったりするが、ドイツ語やイタリア語になればてんで検討もつかなくなってしまう。

なんと気持ち悪く不思議なことなのだろうか。今でも時折、活字に耐えられなくなることがあって、吐き気が止まらなくなってしまう。本が好きで好きでたまらないのに。

 

「普通」という概念には、日々息苦しさを覚えていた。

何が"フツウ”なの…?世の中の平均値…?でも、どうして、数字ではないものを平均化できるの…?

"フツウ"を求められる度に苦しかった。なんとか自分なりに"普通"と折り合いをつけ、他者と関われるようになったのは、今思えば高校1年生くらいだったのかもしれない。

いつも、家に帰って自分の部屋に入るとどっと疲れていた。小説の世界に逃げていたのは、きっと世の中とうまく折り合いをつけるためだったのだと思う。あれは儀式だったのだ。

 

 

そんな私が初めに出会った哲学者は、ソシュールだった。

彼を哲学者というか、言語学者というかは難しい問題だが、彼の構造主義的な言語哲学は、私の世界観を変えた。(言語学者の鈴木孝夫氏の書籍にも非常に救われた。)

言葉は世界を切り取り、それを知覚の対象にするということ。つまり、言葉が見えるものを形作るということ。

それを知った瞬間、私の世界は変わった。

その頃、自分の言葉と他者の言葉とは完全に同じものではないのかなと、漠然と思っていた。だって、触れてきたものが違えば、そりゃあ知っている言葉も違う。

小学生の時から毎日5冊の本(この冊数が小学校の図書館の貸し出し上限だった)を貪るように読み、中学でも高校でも暇さえあれば本を手にしていたのだから、さすがに多少は他の人よりも言葉を知っているという自負があったのだ。今思うと恥ずかしい傲慢。

私の見ている世界と、他者の見ている世界は違うかもしれない。そう思うと、少し気楽になった。同時にとっても、怖くなったけれども。

 

じゃあ私は一生、他者と分かり合えないのか。

本質的に、完全に、他者を「理解」することはできないのだろうか。

この悩みは私を四六時中と言ってもいいほど苦しめていた。

誰かを「理解」したかったし、誰かに「理解」されたかった。

自分のことがうまく伝わらなかったり、他者のことをうまく知れなかったり、そういったことがひどく辛かった。

その時に出会ったのはレヴィナスだった。

正直に言えば、レヴィナスは今でも勉強中である。私の頭脳には難しすぎる哲学者だと思っている。

でも、レヴィナスの「他者論」が私のことを救ってくれたことは事実である。

他者は絶対的に他なるものである、という諦念にも近いように思えるこの言葉は、同時に、絶対的に異なるからこそ真摯に向き合おうという心意気を感じさせる。

「他者」と「私」とは絶対的に異なるのだと考えると、楽になった。

自分が目指すべきゴールは、完全に「理解」することではないのだなと、そう折り合いがつけられたのだ。

 

そんな風に、この世の中の分からないこととの折り合いを、哲学によってつけてきた。

様々な哲学に関する書籍を読むようになって、アリストテレスの時代から、膨大な叡智が結集されても「理解」されていないことがたくさんあることを知った。

今も、学べば学ぶほど、「真実」がどこにあるのかが分からなくなっている。

「正義」とは何か。「国家」とはどうあるべきか。「倫理的」であるとはどういうことか。「平等」とはどういうものか。「公平」とはどんな状態か…挙げればきりがない。

それらのなかに、何一つとして、私が自信を持って答えることのできるものは、無い。

 

けれども、偉大なる先人が自分の前に必死で(それこそ文字通りに命をかけて)考えてきたのだという事実に、私は日々、救われる。

 

 

哲学的に考えるということは、時に大きな苦痛を伴う。

愛とはなんぞやと考えずとも、"恋愛"をすることは可能だ。

幸せとはなんぞやと考えずとも、"幸せ"を感じて生活することは可能だ。

正しいとはなんぞやと考えずとも、何かを"正しい"と判断することは可能だ。

むしろ、考えない方が、楽に息をしていけるのではないかと思う。

 

でも。私は考えずにはいられない。

辛くても、苦しくても、泣きそうになっても、毎日毎日、様々なことを考えてしまう。

それは不幸なことなのかもしれない。

考えないで生きられれば…と思うこともある。

ただ、私は哲学に出会わなければ、深い深い絶望に囚われて、とっくのとうに命を捨てていただろうということ。

それはきっと「真実」だ。

 

哲学は私にとって、この世界を生き抜くための地図のようなものだ。

広大な世界を目にしても立ちすくまずに、なんとか少しずつでも進めるのは、先人たちの叡智の結集である哲学書を抱きしめているからだ。

哲学にとって私は「他者」だし、私にとっての哲学も「他者」だ。

他者の思考を「私」のものにすることはできない。

だからこそ私は安心する。「私」のものではないから、素直に愛せるのだ。

 

これからも私は、哲学を抱きしめて生きていくのだと思う。

この世の中で生きにくさを感じている誰かにも、哲学が寄り添ってくれることを、心から望む。

 

 

平成生まれが歌舞伎を楽しむために

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「学校の鑑賞教室で見た」という人は多いかもしれないけれど、自分でお金を払ってチケットを取って歌舞伎観劇に赴いたことのある人は少ないのではと思う。

 

 私は平成7年生まれの22歳だ。

特段大学で日本文化を学んでいるわけでもなければ、親が歌舞伎好きなわけでもなかったし、日本舞踊をやっているわけでもない。(興味はあるのだけど!)

そんな私が「歌舞伎が好き!」と言うと「へえ!すごいね!」と言われることがある。

「一緒に行かない?」と誘っても「難しそうだから…」と断られてしまうこともある。

それがとっても悲しいので、知識のあるわけでもない一介の大学生なりの楽しみ方を、ここでお伝えしたい。

※不勉強はどうかお見逃しください。

 

 

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↑この前観劇した「七月大歌舞伎」夜の部の絵看板

 

 

□そもそも歌舞伎の何が楽しいのか

 歌舞伎は庶民の娯楽だ。だからその当時の庶民の生活が見えてくるし、登場人物が武士であれ貴族であれ、あらすじは単純明快。悪い人が出てきて、いい人が出てきて、叩きのめす。または、恋に悩み、恋に破れ、でもなんだかんだで幸せになる。などなど、現代とたいして変わらない。昔の人もこんなこと考えてたんだ!って思うと、色々とくだらなく思えてくる。自分の悩みが突飛なものじゃないんだなと自覚できるから、悩みも吹っ飛ぶ。

 多くの場合、演目の中で男性はチョットなよっとしたのと、イケイケのマッチョと、お笑い要員が。女性は、美人な若い娘さんと、肝っ玉母ちゃんと、悪女が出てくる。それぞれのキャラが立っているので、「あ〜この人こうなるんだろうな」と予想をしながら見ることができる。時代は違えど、自分の周りにもこういうのいるわ〜〜って思えたりして。それがすごく楽しい。

 あとこれだけは言っておきたいのだけど、女形の美しさはね、ほんとにね、すごい。すごいよ。とにかくすごいの。(語彙力がない) お着物も髪飾りももうね、3階席から見てもうわあああってなるし。目の保養すぎる。指先足先の動き一つまで美しいのだから、帰りには毎度毎度自分の日常の立ち居振る舞いを反省します…。そういう意味では、自己啓発にもなります。

 

 これ以上はもうちょっと語りきれないからやめるけれど、とにかく行けばとっても楽しい。だから、是非行ってもらいたい。なので次からは歌舞伎を楽しむためのちょっとしたコツのようなものを書いていく。

 

 

□席は3階でいい 

 歌舞伎が、というわけではないが、舞台というものは大抵そこそこ値が張る。学生にはちょっとした背伸びが必要になってしまう。

 そこでお勧めしたいのは3階のB席。この席ならば、演目にもよるが大抵3000円、高くても4000円だ。これくらいなら頑張れそうじゃない?確かに1番安い席だし、1番後ろ。だけれど私は、1階の後ろや2階の後ろの方に座るくらいなら3階の一番後ろの方がいいんじゃないかなと思っている。

 コツはなるべく上手側(舞台から見て左手、つまりはチケットを選択する画面で右側)を取ること。上手側から出ないと花道が見えなくてちょっと悲しい気持ちになる。31〜40番くらいだと舞台に近い方だけではあるが、しっかり”見得”が見えるので楽しい。

 

 

□イヤホンガイドを借りる

 歌舞伎座の会場入り口前や、歌舞伎座内のカウンターでイヤホンガイドを借りることができる。1000円の保証金を含めて1700円也。この1000円は返却時に帰って来るので、実質は700円だ。ちなみに学生証を提示すると50円引きされる。

 片耳にイヤホンをつけながら観劇するので、初めは多少の鬱陶しさはあるが、そこは我慢。舞台の進行に合わせて、役の説明や役者さんの紹介、江戸時代の風俗の説明などをしてくれる。中でもありがたいのは、長唄の意味の説明。これがあるのとないのとでは全く違う。

 オススメは、開演の5分前ごろからつけておくこと。舞台のあらすじについて説明をしてくれる。

 

 七月大歌舞伎の夜の部では、海老蔵の早着替えが見所の一つとされていた。しかし、それがもうあまりにも早い!着替えに気づかないほどに早く、イヤホンガイドで「早着替えしました」と言ってもらっていなかったら、お化粧とも相まって誰が誰だかわからなくなってしまったと思う。

 イヤホンガイドがあればこそ理解できることも多い。むしろ、このガイドさえあれば、事前に勉強していなくてもちんぷんかんぷんになることはないので、ぜひ借りてほしいと思う。

 

 

□チラシを入手しておく

 劇場内にあるラックに、その時やっている演目のチラシが置いてある。それを手元に置いておくことを強くおススメする。

 チラシの表には配役が、裏にはあらすじがあるので、見ながら適宜確認していくといい。歌舞伎では座席が真っ暗になることがあまりないので、十分に確認できると思う。当然のことなのだが。歌舞伎役者さんはお名前が似ているので、時々確認しないと混乱する…

 

 

□幕間はお散歩する

 歌舞伎は結構長いので、ずっと座っていると疲れる。七月大歌舞伎だと、16:45から始まって、なんと20:40まで!幕間が2回、30分と20分の合わせて50分あるとはいえ、なかなかな長さ。幕間は立ち上がった方がいい!

 個人的には、売店で売っている食べ物が美味しいのも歌舞伎の好きなところ。特に歌舞伎座!最中アイスに人形焼、それにおいなりさんも美味しい。他にも色々美味しそうなものが売っているのでぜひ。1階の売店には様々なグッズも売っているので、お土産にも最適。

 幕間では自分の座席で飲食ができるのも嬉しいところだ。長い方の幕間では、緞帳の紹介もあるので、豪華絢爛な緞帳を眺めながらお腹を満たそう。

 

 

□八月納涼歌舞伎は初めて観る人にオススメ!!

 興味はあるのだけど、なかなか踏ん切りが…っていう人には、間も無く発売される八月納涼歌舞伎を全力プッシュしたい。

 なぜなら、八月は3部だて、つまりは1回が短い!そして、始まる時間も3部であれば18時台だし、逆に1部であれば午後早くには終わる。他の予定との兼ね合いもつきやすいだろうし、ちょっと観てみるのに丁度いい長さだと思う。

 

 

最後に一言。

平成生まれでも、歌舞伎は楽しい!!

以上です。